アンチ・ブログレッシブ・ロック
2009-08-06T09:21:27+09:00
ill-licht
三十路男の独り言
Excite Blog
ところで、
http://tagomago.exblog.jp/10786401/
2009-08-05T20:56:00+09:00
2009-08-06T09:21:27+09:00
2009-08-05T20:56:15+09:00
ill-licht
徒然
んで、今日もやらかしたのが、宮沢章夫の「資本論も読む」(幻冬舎文庫)である。私は今後「資本論」に挑戦することがあるだろうかと考えるに、たぶんないだろうと思われるのであるからして、しかしながら、興味はあるのだ。だから、ゴダール式読書法など用いてみてはいかがだろうと思うわけだ。だって読んでも結局忘れちまうんだもん。人間だから。これってある意味究極だよな。確かに、この分厚い本を、通読しました、端から端まで、序文から後書きまで、注に到るまですべて、一字一句もらさずに。この充実感、登頂感、絶頂感たるや、すさまじく、俺やりました、山登りました、制覇しました。でも忘れるからね。ほんと悲しいやね。実際、もう僕たちは学校を卒業したのであるから、先生やら教授などから、君、この本を読んだのだってね、ではここのところの、あんなところや、こんなところは、いったいどんな感じなん?などと人生のある場面で決済をせまられ、それについて逐一報告する義務ももたないし、その一冊の書物に対して、なんら責任を負う必要もないのであるからして、これ、いい加減に読み捨ててしまうべし、なのではないだろうか。いやでも、そこに山があったら登るでしょ、それが僕、俺、私の生きる道だというなら、確かに、かくあるべしと思わないでもないし、この「資本論も読む」も、実際悪戦苦闘する宮沢氏の姿はかなり愛おしくすらあるのである。
私たちは一生の間にいったいどれだけの本を読むことができるというのだろうか。山下達郎はすでに、もう死ぬまでにすべてを聴ききることが出来ないほどの数のレコードを所有してしまったという。ああ、有限なる人間の悲しさよ、などと言いたいわけではない。たまに夢中で音楽を聴いていたりする時などに、次はこれを聴こう、いやあれも聴きたい、いやここはむしろあっちだろ、などと異常にテンションが上がる瞬間がある。そして、えいっ、順番など面倒くさい、全部いっぺんに聴きたいなどと思う。もちろん実際にやりはしない、やったらそれこそ気〇がいだ。そして、最近は本を読んでいても、あれもこれも、全部いっぺんに読みたいと思うのだ。せめて音楽聴きながら読書できればよいのだが、私はこの二つをうまく両立することが出来ない。まぁインストやクラシックなら可能だろうが、実際のところ、本を夢中になって読んでいるとき、どれだけ音楽に耳を傾けているといえるのだろう?結局のところ聴いていやしないのではないか?だったら無駄な気がしてしまう。でも出来れば両方消費したい。アイ ウォント モア である。]]>
思いつくままに、話は飛びますが、今回はそうでもないようです。
http://tagomago.exblog.jp/10780848/
2009-08-04T22:44:00+09:00
2009-08-05T00:03:06+09:00
2009-08-04T22:44:53+09:00
ill-licht
徒然
やっとここで前回の話が一つにつながったなどと思われる方があるかもしれないが、それは今回たまたまの出来事であって、私は今後も話をいろんなところに飛躍させ、そしてあっけなくそれを放置してくるつもりでいるので、その点だけでもどうかご理解いただきたいものだ。
おんどれは先ほどから「堕落論」「堕落論」とのたまうが、「堕落論」とは坂口安吾の10pほどの短いエッセイのタイトルのことで、それをどこから読んでもなどとぬかすのは、ちょっとばかしおかしいのではありゃせんか?それとも何か?おんどれは「堕落論」というタイトルのついた坂口安吾のエッセイ集のこと言っておられるのかしらん?それにしたって、ありゃあたくしが知るところ、文庫だけでもざっと4種類ほど出ていて、取り上げられておるエッセイも出版社によってまちまちなのですぜ。などと鋭いあなた方は思うかもしれないのだが、確かにそいつはいかにも問題である。今回新潮社のフェアのために選んだ「堕落論」は私が常日頃愛読している角川文庫版「堕落論」と収録されている作品が違うし、それはとんでもない表紙に変えられてしまってもはや絶句せざるを得ない集英社版とももちろん異なっているのである。
今回この三種類をそれぞれ見ることで、私が常日頃愛読しているからという理由だけではなく、角川文庫版の「堕落論」が一番充実した内容であるように思える。これは私の個人的な好みの問題もあるかもしれないのだが、小林秀雄を論じた「教祖の文学」と、自殺した太宰についてフツカヨイ的に語った「不良少年とキリスト」この二つが揃っているのが角川文庫のものだけだからというのが主な理由である。
で、ここで太宰ブームである。書店にいても肌で感じる太宰ブーム。これはいったいなんなのか。私は偉そうなことは言いたくないのだが、太宰、はっきりいってあまり好きではない。というか、太宰が日本における、文学というものの負の部分を、むしろ象徴している存在であるとすら思っている。その、作家の、坂口安吾の言うところのフツカヨイ的自意識の垂れ流し、いや、垂れ流すという行為そのものよりもむしろ、作家が、その自意識を垂れ流すという恥ずべき行為を私はしましたと自らが進んで申告することで、その行為における倫理的な罪を軽減せしめようといういやしさによって、むしろ私は太宰を軽蔑するとでもいおうか。なむなむ。むろんこれは「人間失格」という作品における太宰ついてであり、他の作品においては違うのかもしれない。そして太宰治という日本文学界に燦然と輝くこの稀有なM・Cにおけるこのフツカヨイ的な部分は、この坂口安吾の「不良少年とキリスト」において暴かれ、しかしそれは単なる批判ではなく、愛がある眼差しでの、しかしべったりはしていない、すぐれて批評的な文章を読めばはっきりしてくるように思われる。そして、あなたが太宰ファンだろうがアンチだろうが、その熱さ、けっしてマッチョではない、真に「知的」な熱さに心打たれるであろう。]]>
徒然なるままに、
http://tagomago.exblog.jp/10774161/
2009-08-04T01:10:00+09:00
2009-08-04T22:46:02+09:00
2009-08-04T01:10:26+09:00
ill-licht
徒然
話は唐突に変わるのだが、この間とある若い知り合いと話をしていて、キン肉マンのジェロニモというキャラクターついてきかれたのだが、私はまったくといっていいほどジョロニモについて答えることが出来なかった。その若い友人が私について期待したように、私はジャスト、キン肉マン世代と言ってよく、キン消しブームもど真ん中で経験した世代である。私が特別漫画を読まなかったなどということはなく、むしろ、ジャンプは毎週買っていた上にコミックスも当時講読していたし、アニメもしっかり見ていた。つまり何が言いたいかというと、私は致命的なぐらい記憶力というものが欠如しているらしいのだ。いや、でもそれは小学生の頃の話ではないかと、もしかしたら、あなたは慰めてくれるかもしれない。しかし、同世代の仲間と集まって飲んだりしているとき、昔の漫画やドラマの話などをするときでも、私はほとんどその内容を覚えておらず、蚊帳の外にいるということが度々あるのだ。その若い友人にもやや自嘲的にこの話をしたところ、じゃあ本読んだり映画見たりする意味ないね、と冷たく言い放たれてしまったわけであるが、いやだからこそ読んだり見たりするのだ、とかなり苦しい弁を弄するよりほかになく、いたたまれない気分になった。正直に申し上げて、私は読んだり、見たりした本や映画の内容をほとんど覚えていない可能性が高い。これはよもや病気ではないかというほどの燦々たる有様であるが、しかし、私は意外と身の回りで起こった出来事のようなもの、例えば、あの時君はこんなことを言ったね、とか、あの時あんたはこんな風変わりな靴を履いておったよ、などといった割とどうでもよいことは、意外と覚えているたちなのであるからして、記憶力の問題というよりそれは、私に物語を解する、あるいは蓄積する能力が著しく欠けているからと思われるわけで云々・・・といった話は、今はさし当たって関係がないように思われるので端折らせてもらう。で、最近思うことは、たくさんの本をあれもこれもと無理してたくさん読む必要は実はあんまりなくて、自分にとってこれと思われるものを、繰り返し二度三度と読むことの重要性である。
で、また話は飛ぶのだが、永江朗の「不良のための読書術」という本の中で以下のようなことが書かれていた。
ゴダールは一本の映画を二十分ぐらいしかみなかったらしい。二十分見ると、次の映画館に行く。そしてまた二十分見るとその次の映画館に入っていったという。
永江さんはこの方法を読書にも取り入れて、曰くゴダール式読書法として、この本の中で推奨している。一冊の書物は最初のページから最後のページにいたるまで一字一句読み飛ばすことなく読まねばならないといった堅苦しい通念から読書を開放し、どこから読んでも、どこで止めてもいい、そんな新しい読書の形を提示しているのだ。]]>
大友良英 生誕半世紀記念ライヴ at 六本木SuperDeluxe
http://tagomago.exblog.jp/10765538/
2009-08-03T00:58:00+09:00
2009-08-03T01:11:22+09:00
2009-08-03T00:58:22+09:00
ill-licht
音楽
今回はその友人がSuperDeluxe に行ったことがあるということなので、道には迷わずたどり着くことが出来た。なかなかレトロな雰囲気のあるマンションホテル(って何だ?)の地下にそのSuperDeluxe はあるのだが、看板も地味で一人だったら見逃していたかもしれない。
予約をしていなかったので若干不安だったが、予約で先に入っていったオドレイ・トトゥ似の可愛いフランス人に友人と二人でときめき(友人は女性だが)ながら、案外余裕で入店。その娘、入店前にタバコを吸っていたのだが、入り口に灰皿がなく、さすがにタバコを持って入店するのが躊躇われたのか、かなりオーバーアクション気味に周りをキョロキョロ、どうしよー、あっ彼氏先行っちゃった~、えーい、ポイだー。もちろんマナーの悪い行動なのだが、その一連の動きがなんか可笑しかった。
入店後、席の配置がちょっと変っているのに驚く。真ん中にお客さんの席が円形に設けてあり、その周りを出演者達の各楽器が取り囲み、またその周りに客席が配置されるといった按配。とりあえず、ターン・テーブルとギターの置いてある大友良英のものであろう席の裏側に陣取ることにする。開始時間までは酒を飲んだり適当にだべったりしてだらだら過ごす。
1st setは大友良英 ピアノソロ ということだったので割りとおだやかな感じかと想像していたのだが、もう完全なノイズ。このピアノというのがかなり曲者で、音にエフェクトかけてる?いやギターぽい?のかよくわからんけどかなり凶暴なノイズが出ます。すごい音の洪水だったのですが、なぜか途中でうとうとしてしまった・・・
んで30分の休憩を挟んで、待ってましたの2nd set「幽閉者」のライブ。ジム・オルークらしいというかジョン・フェイフィ風のギターで始まって、それに各々が即興でいろいろ音を足していくかんじなのだけど、やり過ぎない絶妙な音響ノイズといった感じでわびさびすら感じる風情。大友良英を紹介する際によく言われるターン・テーブル奏者っていったいどんななんだろっていつも思っていたんだけど、ターン・テーブルにエフェクターをつないで、ヒップホップ的なリズミカルではない本当の意味でのスクラッチ。なるほどこうすればこんなに単純なしかけでノイズを生み出す楽器になるのだなー。その他にも、足元に落ちてある裸のシンバル踏みつけたり、意外と原始的な方法で様々な「音」を生み出していく。その様は、ノイズや即興という言葉から受ける身体的、情動的でエモーショナルな熱といったものからは少し距離を置いた緻密な、ほんと息を潜めるような繊細さに裏打ちされた、ある種「知的」ともいえる演奏でした。感動。
最後は大友良英によるメンバー紹介で締めたのだけど、大友さんが、「この演奏環境の特殊性上アンコールは・・・」みたいなことを言ってる途中で、となりで演奏していたジムが「アンコールあります!(みんなで、みたいなアクション)ハ~ピバ~スデ~♪」と入ってきてほっこりさせられる場面も。ハッピーバースデーの歌の後半で場内でやたら大声でわめき歌う人がいるなーと思ったら中原昌也でしたw
にしても「中原昌也の作業日誌」の中でもしょんべん横丁かどこかで何か辛いことがあって号泣する中原昌也を慰めるジム・オルークってのがあった気がするんだが、ジム・オルークってすごいいい人っぽいよな~とホクホク顔で帰宅しました。]]>
ゴダールシンポジウムvol.1 at 早稲田大学小野梓記念講堂
http://tagomago.exblog.jp/10700010/
2009-07-26T00:27:00+09:00
2009-07-26T02:01:27+09:00
2009-07-26T00:27:34+09:00
ill-licht
映画
まぁそんなことはよいとして、着席。時間までは例のごとく文学青年(中年)気取りで本など読む。「ゴドーを待ちながら」をゴダールを待ちながら読む。失礼。いや、でもほんとの話。
上映は、「アワーミュージック」。このブログでも紹介しましたね。今日で見るのは二回目でしたが、えー、ちょっとうとうとしました。やっぱ音響が気になる。音楽と環境音の抜き差し。無音と環境音が音楽が止むことによって逆に際立つと言うか、そのための音楽なのではないか、と思わずいいたくなるほど、ゴダールの音楽の使い方は、音楽がない部分、環境音だけの部分を逆に際立たせるという気がする。僕も以前の記事でやりましたが、いろいろ深読み出来る作品だと思うけど、とにかく体験することが大事といえる作品だろう。やはり必見です。
上映後はパネリストによる、トークセッション×2。最初は菊池成孔との共著で有名な大谷能生とダンス批評家の桜井圭介。今回のパネリストでは桜井さんだけ名前を知らなかったのだが、ピナ・バウシュとゴダール作品の身体性の類似に関する指摘はとても興味深く、色々具体的に映像を紹介しながらのプレゼンだったのだけど、ゴダール映画における身体性、その誇張における滑稽さ、いやー笑えます。撃たれても撃たれても死なない男。あれはなんて作品だったかな。しつこいまでの反復。あまりにも有名な「勝手にしやがれ」のラストにおけるジャン・ポール・ベルモンドの最期のこけっぷり。そういう視点は今までなかったので、いやー笑いました。大谷さんはマイペース過ぎますね(笑)プレゼンの時間オーバーで話まとまらず。
トークセッション第二部は佐々木敦×宮沢章夫。なんでも宮沢さんはこの日のために徹夜でたくさん映像を編集したらしくて、とても興味深いお話が聞けました。さすが早稲田で教えてるだけあって、なんだか授業みたいにしっかりしてました。いやー早大生うらやましいzo!佐々木さんが持ってきてくれた12分間のゴダールの短編「フレディ・ビュアシュへの手紙」も大変興味深い内容でした。ゴダール自身が延々映画について語っているだけという作品ですが、そこから佐々木さんはゴダールにおけるワン・プラス・ワン性ではなく、次の第三項、しかしワン・プラス・ワン・プラス・ワンではなく、ワン・プラス・ワンの間に存在するようなもう一つの視点の重要性を語っておられてなかなか刺激的でした。宮沢さんのお話では、現実について語るときの、表現者としてのどもり(もっと違う表現でしたが一時的に失念)のあり方みたいな話も興味深かったでし。最後には質問タイムが設けられていたのだが、佐々木さんのゴダール作品における引用の多さと、それに対する理解がよりゴダール作品を豊かにするみたいな発言に対して、でも、ゴダールだって行き当たりばったりである種いい加減に引用しているんじゃないか?ってことが聞きたかったけど、たぶん声震えちゃうなーとか思って質問しなかったヘタレな自分です。
今回はvol.1ってことで次回もあるだろうから次回に持ちこします。いやーでも5時間強、なかなか充実した時間が過ごせました。これで入場無料とはパネリストはじめ、企画した学生の皆様(特にもちろん受付のキュートな彼女)、お疲れ様でした!]]>
Qちゃん妊娠?
http://tagomago.exblog.jp/10668230/
2009-07-21T22:28:00+09:00
2009-07-26T01:23:33+09:00
2009-07-21T22:28:39+09:00
ill-licht
猫
ところがそんな関係が半年ほど続いたある日、ぱたりとQちゃんがご飯に来なくなってしまったのだ。さすがに内田百閒ほどおろおろはしなかったものの、二週間程姿を見ないに及んでは、どこかで死んでしまったのではないかと思い、かなり落ち込んだのだが、裏の家ではQちゃんの兄弟が飼われているような形跡もあったので、Qちゃんも裏の家の子になったのかもなどと考えたりもした。
しかしそんな心配をよそに、Qちゃんはその後また、たまに姿を見せるようになったのだが、その姿はめっきりやせ細ってしまっており、きっとこれは何かの病気に違いないと思い、やはり悲しい気持ちになった。
だがある日の休日の朝、いつものようにQちゃんにご飯を与えた後、庭でまったりしていたQちゃんを観察していると、たまに一緒につるんでいるデブで図太いトラ猫(通称ブーちゃん。僕の命名はやはりセンスがない)とQちゃんは一緒にいたのだが、ゴロンと仰向けになったQちゃんのおっぱいが異常に赤くなり膨張していることに気づいたのだ。前にも書いたように猫に対する知識がほとんどない僕だから、猫におっぱいが6つもあることにも驚いたのだが。
その日はMKちゃんとデートだったので、そこでその時とった写メを見せてみたのだが、そこで彼女の口から僕が考えたこともないとんでもない一言が飛び出した。
「Qちゃんって女の子で、このおっぱいの感じだと赤ちゃんがいて、授乳してるんじゃない?」
Qちゃんを男の子と考えて疑わなかった僕ではあるが、言われてみれば確たる証拠があるわけではない。最初に見たとき玉のようなものが見えたからそう思ったわけだが、気のせいだったかもしれないし、同じ柄の兄弟だったかもしれないのだ。確かにこの写メを見返してみても、この二匹夫婦に見えなくもないではないか。
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blue line swinger
http://tagomago.exblog.jp/10647103/
2009-07-19T00:36:00+09:00
2009-07-19T09:43:23+09:00
2009-07-19T00:36:25+09:00
ill-licht
音楽
一つ前で紹介した「Today is the day」もそうだけど、 Yo La Tengoは同じ曲のヴァージョン違いが甲乙つけがたい名曲であることが多いんだけど(後もちろん「Tom Courtenay」!)、この大名曲にもヴァージョン違いを見つけました。たぶんライブのみでCDには収録されてないと思う。
アコースティック ・ヴァージョン。
かなりCD収録のヴァージョンに近い。ちょっと走りすぎな気も。アイラのギターがやっぱり圧巻。途中すごい弾き方(?)になってるんだけど、ちゃんとCDに近い音が出てるwこんな弾き方録音でもしたのかなぁ。
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Today is the Day - Yo La Tengo
http://tagomago.exblog.jp/10646752/
2009-07-18T23:48:00+09:00
2009-07-18T23:51:11+09:00
2009-07-18T23:48:26+09:00
ill-licht
音楽
癒し系。ビーチで聴きたい。
ロックヴァージョン。ライブでモッシュしたい。
前にも書いたけど、ヨ・ラ・テンゴのギターのフィードバックノイズは僕にとってほんとに心地よい。一番好きなロックバンド。
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Qちゃん登場
http://tagomago.exblog.jp/10626627/
2009-07-16T01:18:00+09:00
2009-07-19T00:45:42+09:00
2009-07-16T01:18:52+09:00
ill-licht
猫
お母さんを含めた兄弟四匹は庭でよく目撃したのだが、やはりとりわけQちゃんがよく庭に来ていて、家の前には蔦がたくさん絡まった、アニメに出てきそうな怪しげな家が建っており、命名家の当時の彼女によりトトロの家と名ずけられたわけだが、その家の少し横に飛び出た小屋(たぶんお風呂だと思う)の屋根の上で寝ているところなどもよく目撃した。僕の住居は基本的に二階部分と決められていたのだが、その二階の窓からは、その小屋の屋根がよく見えたので、よくそこからチュチュチュチュと舌を鳴らして挨拶したものだった。
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「19歳のジェイコブ」・・・中上健次
http://tagomago.exblog.jp/10590264/
2009-07-11T02:12:00+09:00
2009-07-14T02:15:55+09:00
2009-07-11T02:11:58+09:00
ill-licht
文学
しかし、1年ほど前に角川文庫で突然この作品が再発され、斉藤環の解説を読んでやはり読んでみようと思い立った。最初、この作品は「焼けた眼、熱い喉」というタイトルで、主人公のジェイコブも順造。彼女のキャスは安子だったというのだ。絶対そっちの方がよかったと思うのだが、しかしつまり、単行本化に際して中上健次はあえて、ジェイコブという名前につけかえ、タイトルもつけかえたのだ。斉藤環の解説によると、ジェイコブとはヤコブの英語読みであり、「モダンジャズ喫茶はシナゴーグ(ユダヤ教の教会)のように見えた」と作中にあるように旧約聖書におけるヤコブが連想されるのだが、象徴的な意味をはらむであろうこの命名はしかし成功しているといえるのだろうか?
この作品において中上は固有名を極力避けているように見える。例えばモダンジャズ喫茶はきっと新宿にあるのだろとは想像できるが、彼の生まれ故郷、多くの作品で路地と名指されることになる場所も、はっきりとした土地の名前では示されない。そして、まるで記号のような人物の名前。唯一フルネームで示されるのが、ジェイコブの父親であると噂される高木直一郎だけだ。もちろんこの父親こそ、秋幸三部作(「岬」、「枯木灘」、「地の果て、至上のとき」)における、浜村龍造であることは言うまでもないだろう。このような変奏は各作品で行われており、中上の自殺した兄や、生みの父親は設定などに若干の違いはあるものの、中期までの中上における重要なテーマであることは間違いない。
しかし、この作品を象徴的な意味に支配されているかというと、むしろ作品は切ったら血が流れると思えるほどに生々しく、暴力的で、性的なえぐさに満ちている。だから、中上がこの作品の単行本化に際して行った改変は、作品の内容にそぐわない、無駄な、いやむしろ作品を殺しかねない不可解なものに思えてくる。
とはいえ、斉藤環も指摘しているように、中上健次の文章は最近のリーダビリティの高い小説になじんでいる若者には確かに読みにくいだろうし、回想への導入の境目など非常に不親切ともいえるわかりにくさなのだが、しかし、読み進むうちにこの独特のリズムというのは非常に、中毒性があり、止らなくなる。ラスト等は、仕事の休憩時間を過ぎても止めることが出来ず、読みきってしまったほどだ。
だから、この作品は中上の不可解な改変によりあまり注目されることのない不幸な作品となってしまった気がするが、中上作品の中でも個人的には好きな方だし、僕がもっとも好きな「地の果て、至上のとき」との対称的な結末を含めて、誰か評論してくれたらと思う。その辺のところも含めて、斉藤環が中上健次の評論を準備しているそうなので楽しみに待ちたい。
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Pharoah Sanders at 東京Blue Note
http://tagomago.exblog.jp/10583583/
2009-07-10T00:08:00+09:00
2009-07-14T02:20:56+09:00
2009-07-10T00:08:32+09:00
ill-licht
音楽
職場の六本木一丁目という駅から徒歩で向かったんだが、いやー迷いました。地図で何回かは確認していたし余裕かと思いきや、自分土地勘なし、おまけに方向音痴なものでして。だんだん焦ってきてこりゃとんでもない方向に進んでいるやも知れんぜ、っと汗かきかきしながら偶然曲がった角に、ブルーノートの看板を発見したときニャー、もうほんと、天にも昇る気持ちでしたよ。いやそれは確かに言い過ぎにしてもっですよ。
入り口で写真取ってる人を無視して、カメラに写りこみながらも入店。おごそかな雰囲気の店内には既にまばらに人がおりましたが、なんだかファラオの客ってな感じで想像していた、ほんと薄汚い髭ぼうぼうの人なんて皆無なおしゃれ系だったり、業界系だったり、セレブ系だったりな人たちでちょっとびっくり。そこに汗だらだらたらしながら、うひょひょひょなどと思わず口走っている僕が入ってきたもんだから、みなさんの痛い視線を十分に感じながらも、しかししかし、そんなことより生ファラオですよってなノリで受付をすます。僕は26番目の入場でした。と、ここでようやくいつもの落ち着きを取り戻した僕は、周りをキョロキョロ。なんかね、意外と綺麗なオネイサン方がいたりして、さすが東京ブルーノートだねっなんて思いました。
そんでしばしソファーに横になって汗を吸収させていると、いよいよ開演ってなもんで、地下に通されます。案内係がマジで青木さやかにそっくりで、いやもしかして本人なのか?とは、さすがに思わずに前から二番目のなかなかグッドな席に案内されました。しかし、こんなに雰囲気よしなゴージャス感なのに席が狭い。もぉ隣の熟年カップル、なんかコースみたいの頼んじゃってさー。お前ファラオとか好きなのかよーとかは、さすがに僕も大人になってきたのでまったく思わずに、とりあえずビールだけ頼んで(1000円だぜ。まったくー)後は文学青年よろしく、気取って本なんか読んじゃってファラオの登場を待つ。
んで出できたぜーファラオー、よぼよぼだぜー、なんかびっこひいてるし。身体に貫禄はありましたが、よく街で芸能人みると意外とチッサイナーって思うのと同じ感じで、上背じたいはあんまない感じでした。
出てきて各自楽器をセットし終わるや否や、いきなり始まりましたー「ジャイアントステップス」。コルトレーンの大代表作ですね。うーん泣ける。ほんと三回ぐらいこみ上げました。アノ、ボクノダイスキナ、ファラオ・サンダースガ、イマ、ボクノモノスゴクチカクデ、サックスヲフイテイル。
でも、一通り吹いて、ピアノソロ、ベースソロ、ドラムソロになると、なんだか脇で座ってます。ダイジョブカ?サンダース?でも隣に座られた人はマジ羨ましいな。
そんでそのまま一時退席しちゃって、周りに不穏なムードが漂うものの、以前にもそういう事をしたって何かで読んだので待ちました。各自のソロが終わるとまた、のろのろびっこ引きながらファラオ参上。
二曲目、三曲目もスタンダードだったんだけど、二曲目の「ボディ・アンド・ソウル」ではファラオ節が炸裂!
んーやっぱ生で見れてよかった。感激。
最後は「ハイ・ライフ」でメンバー紹介したのだけど、イェイイェイェイイェイってファラオの生歌も聴けたし、コミカルなダンスも見れて大満足。ただ、もっともっと見たかったし、アンコールを求めての拍手も10分くらい鳴り止まずだったんだけど、結局出てこないまま終了。あの拍手がだんだん尻つぼみになってく感じが大変わびしく感じられ、あれ嫌な感じだよなーとかちょっと愚痴りたい気分。隣の熟年は、ボーイさんに、バッババッバーは1st(一日二回公演で僕の見たのは二回目)でやったんですか?って聞いてたけど、ボーイさん曰く、今回の来日ではまだ一回もやってません、最近ファンキーなのはあまりやらない方向で・・・などと言っていた。ちなみにバッババッバーとは、ファラオの代表曲の「you've gotto have freedom」のことで、この曲のイントロがファラオのすさまじいサックスプレイでバッババッバーって始まる。しかし、それでわかるボーイさんもすごいな。(ちなみにその後の公演ではプレイされた模様)
個人的にはああいう小洒落たとこより、ピットインとかでやって欲しかったなー。今度はスリープウォーカーと共演を是非クラブとかで見たいし、座ってないで踊りたいなと思う。
最後にセットリストです。
1. Giant Steps
2. Body & Soul
3. All Or Nothing At All
4. Hilife ]]>
猫はニャーと鳴くか
http://tagomago.exblog.jp/10512770/
2009-06-28T01:25:00+09:00
2009-07-16T01:06:39+09:00
2009-06-28T01:25:00+09:00
ill-licht
猫
彼はちょうど1年前に家の庭で生まれた4匹の中の1匹で、風邪をひいてぐったりしているところを拉致して病院に連れて行ってから、家に居つくようになった。他の3匹はどうなったかと言うと、長男(推定)の鯖トラと次女(推定)の黒猫は今でもたまに見かけるが、もう1匹の長女(推定)のキジトラは、ロッチと同じ風邪をひいた状態で見たのを最後に姿を見ることはなくなった。もしかしたら天に召されたのかもしれないが、この辺りには猫好きな人も多いので、どこかで飼い猫として飼われているかもしれない。
そもそも僕は小さい頃から猫好きだったわけでもなく、猫以外の動物自体に対しても大して興味はなかった。例の寮に住んでいた頃、散髪に行って、いつものようにブルーな気持ちで寮の門をくぐると、その頃寮にいついていた野良猫(非常に人懐っこかったので、どこかで飼われていたのかもしれない)が足元に絡み付いてきて、スリスリされた瞬間、まるで天啓に打たれたかのように猫好きになったのだ。その後その猫と何回か交流があったものの、その猫はいつからか見かけなくなり、寮を出て国分寺のアパートに住むようになってからも、周りに野良猫があまりいなかったこともあり、猫との交流は断たれた。
そんな折、高円寺に住む伯母から、もう年だから故郷の金沢に帰るので、高円寺の家に代わりに住まないかという話があった。当時の彼女の家も近かったし、一軒家ならひょっとしたら猫が飼えるかもとの思いもあり、その話に乗ることにした。
引越しの当日から、その伯母の家の庭を走り回る何匹かの野良猫を目にして、とても感激したことを覚えている。
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ア、ア、ア マイ、チェッ
http://tagomago.exblog.jp/10495250/
2009-06-25T00:47:00+09:00
2009-07-04T22:51:45+09:00
2009-06-25T00:47:08+09:00
ill-licht
雑感
寮自体は僕たちの代が卒業するとともに立て壊され、(といっても僕は1年留年したので、残り1年の学生生活を国分寺で過ごすことになったが)今はライオンズマンションが建っているらしい。10年ぶりにかつて寮があった場所を見に行こうという話になったのだ。(その友人はすでに何回か見に行っているらしいが。)
中野駅の北口を出て、サンモールという屋根つきの商店街を進む。日曜日といったこともあるのだろうが、すさまじい人の数で思ったように前に進まない。この商店街を、学生の頃の4年間、何度通ったことかわからないが、こんなに観光地みたいに人がわらわらいることに、まず驚いた。友人ともそんな会話を交わした。
そしてサンモールを抜けると、有名な(?)「中野ブロードウェイ」に通じている。ここは4階までが商業スペースでその上は住居スペースとなっており、(かつては青島幸男も住んでいたとかいないとか)出来た当時は、今でいうところの、六本木ヒルズなみの高級住宅スペースだったと聞いた。しかし、何よりこのネーミングのひどさといったらない。それが、今はアキバに次ぐオタクのメッカとなり、4階までの商業スペースは、まんだらけが増殖して三分の一くらいを占拠している。また、それ以外も、ありとあらゆる、マニアックなものが溢れ返っており、そこへもってくると、この「中野ブロードウェイ」というネーミング、当時つけた人は真剣に考えたに違いないが、なんだかあほくさくて割と悪くない気もしてくる。
ここはやはり、まんだらけが有名だが、それ以外にもレコミッツ(旧フジヤエイビック)といった中古CD屋も増殖中で、ここは学生の頃からお世話になっているのだが、品揃え値段ともになかなか良心的だ。(まんだらけ、レコミッツに関して増殖中といった表現を使ったが、この中野ブロードウェイは意外と店舗の回転が早く、また空き店舗も多いため、そのスペースに次々と店舗を拡張しているという意味だ。)
もともと買物をするつもりはなかったのだが、友人がレコミッツのハードロック、プログレコーナーを見ると言うので、そのコーナーの前のワゴンに投売りされている200円均一のCDを、ぼんやり眺めていたら、まるで僕と同世代の人のCDラックでも眺めているような感じの品揃えで、(つまり僕が大学生の頃だから90年代中頃に周りでよく聴かれていたいたようなもの。スーパーグラス、キャスト、オレンジデラックス、メンズウェア、ジーンといった英国のものや、エッグストーン、カーディガンズなどのスウェディッシュ、米国だとグリーンデイ、オフスプリング、フォーク・インプロージョン、ベック、ベン・リーとか)懐かしさのあまり、マシュー・スウィートの「ガールフレンド」を購入。マシュー・スウィートの「100%ファン」は当時愛聴していたし、「ガールフレンド」も当時の友人宅でなんども聴いた。悪いわけがない。
その後は、まんだらけの文学コーナーにいって、今はなきサンリオ文庫のガルシア・マルケス「エレンディア」を購入(大人のための童話として書かれたらしい、一連の短編習作は、まるでカフカの短編集や寓話集を髣髴とさせる内容で、残酷でありながら、時に思わず噴出してしますようなところもあり、とても面白かった。)
他にもエロDVDや、なつかしのグラビア写真集を見たり、メイド喫茶を冷やかしたり(結局入らず)して、ひとしきり中野ブロードウェイを堪能した後、本来の目的地である旧法務省中野学生寮跡へと向かう。寮は、中野駅よりもむしろ、西武新宿線の沼袋駅に近く、中野駅からは徒歩で15分位の所にある。ブロードウェイを出て大きいな道に沿ってずうっと直進していくのだが、沿道にある建物やお店が、かつて自分が住んでいるときからあったものなのか、それとも新しいものなのか、あまり覚えていないことにびっくりした。4年間何度も何度も往復した道なのに、人間の記憶と言うものは悲しいぐらい、あやふやで、おぼつかないものなのだなぁ。
寮の跡地には、敷地面積いっぱいに(寮があったころは半分くらい庭だった)巨大なライオンズマンションが建っており、なんだか期待していた感傷的で、懐かしい気持ちは、ふっとんでしまったようでもあったが、まぁこれでよかったのだろうとも思った。
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BIRD AND DIZ (AND COLTRANE)
http://tagomago.exblog.jp/2364279/
2006-01-02T11:10:00+09:00
2006-04-07T20:42:24+09:00
2006-01-02T11:10:09+09:00
ill-licht
雑感
とても有名な写真(ジャケット)です。こうやってみると映画の二人の俳優はあまり似てなかったなあ。とくにdiz。映画のキャラは愛嬌抜群で最高だった。ともあれこの笑顔はいい。隣のbirdの確実にアシッドでぶっ飛んでいるであろう恍惚とした表情もすごいけど。
実はこの写真ずーと引いていくと若かりし頃のコルトレーンが写っているんだよなあ、確か。いろいろ探してみたけどその写真は見つからなかった。残念。(DVD「ジョン・コルトレーンの世界」で確認できます。)
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BIRD
http://tagomago.exblog.jp/2361176/
2006-01-01T23:20:31+09:00
2006-01-01T23:24:05+09:00
2006-01-01T23:20:31+09:00
ill-licht
映画
BIRD
チャーリー・パーカーの生涯を描いた作品で、監督クリント・イーストウッドとあっては観ないわけにはいかないと思いながら近所のレンタルビデオショップの毎週の半額デーでは常に貸し出し中。しかしたまたま職場のバイト君と話していたら彼がこの作品のDVDを持っていることが判明。早速借りて観てみることに。
しかし、意外と長い作品だった。眠気と戦いながら観ていたわけなんだが年末の忙しさ(仕事ではなく、なんとなく気分的なものなんだが)のためダウン。結局2日にまたがって鑑賞というハメに。
当時からその天才的な閃きである程度の名声は得ていながら、結局ビバップの先鋭性は多く
の人の理解を得るには至らず、若い頃からのドラック浸りの日々により蝕まれた体で破滅的な一生を駆け抜ける。痙攣するように吹く彼のサックスプレイはまさに動物的、肉体的な反射神経により繰り出されるアドリブは神がかっている。別に後から幾重にも音を重ね練り直された音楽や、テクノロジーにより作り出される音楽を否定するわけではないが、表現者を気取る余裕もなく、体一貫で芸人的に生きざるを得なかった彼らから搾り出される音にただただ圧倒される。
また、音楽を離れた所での彼の破天荒ではあるがどこか憎めないチャーミングな人柄、盟友ディジー・ガレスピーの愛嬌抜群の眼鏡姿など見所は他にもある。南部巡業の旅などで垣間見れる当時のアメリカの風俗も興味深い。
34歳の生涯であったにも関らず検死官に60歳ぐらいに間違われたというのはあまりにも有名な逸話であるけれど、酒と麻薬でボロボロになった肉体で駆け抜けた生涯は確かにその二倍ぐらい濃密な一生だったといえよう。悲劇的ではあるが、決してそこまで湿っぽくは描いてはいない。資料としてだけではなく作品としても充分好感のもてるものでした。ただ、アマゾンのレヴューにもある通りフラッシュバックの多用で話の前後がややつかみにくいのが難点か。
ちなみにこの作品での演奏はパーカー自身のオリジナルを復元し、レイ・ブラウンら超一流 ミュージシャンが共演したものらしいです。]]>
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