ゴダールシンポジウムvol.1に参加するために早稲田大学へ向かう。なんとなく地図で確認していたのだが小野梓記念講堂ってどこって感じで迷う。いつものパターンだ。しかし今は21世紀、携帯電話という便利なツールがあるのでダイジョブ、ダイジョブ。しかーし、検索しても該当なし。何故?よく見たら、「ゴタール シンポ 早稲田」で検索していた。ゴタールって誰?ゴダールで再検索。すぐ見つかるのだが、いかんせん地図ちっさっ!でもなんとなく見当つけて向かう。がっ、早稲田大学構内でまた迷う迷う、いやいや広いね大学ってばさ。今回のシンポは学生の企画+入場無料ってわけだから、金かかってないわけで、出ている案内標識も白黒のコピーペーパーみたいのでちょっとわかりづらいが、まぁ文句は言えまい。 受付の女学生?がめっちゃキュートでした。もう少しで惚れてまうとこでした。
まぁそんなことはよいとして、着席。時間までは例のごとく文学青年(中年)気取りで本など読む。「ゴドーを待ちながら」をゴダールを待ちながら読む。失礼。いや、でもほんとの話。
上映は、「アワーミュージック」。このブログでも紹介しましたね。今日で見るのは二回目でしたが、えー、ちょっとうとうとしました。やっぱ音響が気になる。音楽と環境音の抜き差し。無音と環境音が音楽が止むことによって逆に際立つと言うか、そのための音楽なのではないか、と思わずいいたくなるほど、ゴダールの音楽の使い方は、音楽がない部分、環境音だけの部分を逆に際立たせるという気がする。僕も以前の記事でやりましたが、いろいろ深読み出来る作品だと思うけど、とにかく体験することが大事といえる作品だろう。やはり必見です。
上映後はパネリストによる、トークセッション×2。最初は菊池成孔との共著で有名な大谷能生とダンス批評家の桜井圭介。今回のパネリストでは桜井さんだけ名前を知らなかったのだが、ピナ・バウシュとゴダール作品の身体性の類似に関する指摘はとても興味深く、色々具体的に映像を紹介しながらのプレゼンだったのだけど、ゴダール映画における身体性、その誇張における滑稽さ、いやー笑えます。撃たれても撃たれても死なない男。あれはなんて作品だったかな。しつこいまでの反復。あまりにも有名な「勝手にしやがれ」のラストにおけるジャン・ポール・ベルモンドの最期のこけっぷり。そういう視点は今までなかったので、いやー笑いました。大谷さんはマイペース過ぎますね(笑)プレゼンの時間オーバーで話まとまらず。
トークセッション第二部は佐々木敦×宮沢章夫。なんでも宮沢さんはこの日のために徹夜でたくさん映像を編集したらしくて、とても興味深いお話が聞けました。さすが早稲田で教えてるだけあって、なんだか授業みたいにしっかりしてました。いやー早大生うらやましいzo!佐々木さんが持ってきてくれた12分間のゴダールの短編「フレディ・ビュアシュへの手紙」も大変興味深い内容でした。ゴダール自身が延々映画について語っているだけという作品ですが、そこから佐々木さんはゴダールにおけるワン・プラス・ワン性ではなく、次の第三項、しかしワン・プラス・ワン・プラス・ワンではなく、ワン・プラス・ワンの間に存在するようなもう一つの視点の重要性を語っておられてなかなか刺激的でした。宮沢さんのお話では、現実について語るときの、表現者としてのどもり(もっと違う表現でしたが一時的に失念)のあり方みたいな話も興味深かったでし。最後には質問タイムが設けられていたのだが、佐々木さんのゴダール作品における引用の多さと、それに対する理解がよりゴダール作品を豊かにするみたいな発言に対して、でも、ゴダールだって行き当たりばったりである種いい加減に引用しているんじゃないか?ってことが聞きたかったけど、たぶん声震えちゃうなーとか思って質問しなかったヘタレな自分です。
今回はvol.1ってことで次回もあるだろうから次回に持ちこします。いやーでも5時間強、なかなか充実した時間が過ごせました。これで入場無料とはパネリストはじめ、企画した学生の皆様(特にもちろん受付のキュートな彼女)、お疲れ様でした!